刀美会に関する調査
別の記事にて尾張三作の菩提寺及び剱塚に関する紹介をさせて頂いたが、そこで出てきた刀美会という団体について調べてみました。
小話程度、読んで貰えればと思います。
尾張刀工譜には「名古屋刀美会」と記述されており、インターネットで調べたところ「名古屋城刀美会」が検索にヒットした。
検索を続けていったところ、「尾張田付流古式砲術保存研究会は名古屋城刀美会の有志によって結成~」、また名古屋城鉄砲隊はその研究会が関わっているというところまで辿りつきました。
facebookで名古屋城鉄砲隊に参加されている加藤氏に出会い、早々に長文で質問をしてしまったことを申し訳なく思いつつ、
丁寧に答えてくださったことに改めて感謝を申しあげます。
・名古屋城刀美会は既に解散している
・現在の名古屋城鉄砲隊は刀美会解散と同時期に分裂し、故野々山修先生を中心に新たに結成されたもの
・刀美会には桜井先生、福井先生、山口先生といった刀剣愛好家や居合の先生が多く名を連ねていた
このお答えを以て、名古屋刀美会と名古屋城刀美会は同一の団体であると理解しました。
桜井先生というのは桜井良樹氏であり、刀美会の会長でありました。
そして桑名の福井先生というのは、勘違いでなければ現在熱田神宮に勤めておられる福井敦彦氏であると思います。
福井先生は私も参加している真清田神社刀剣保存会の講師としてお会いできるので、また話を聞きたい。
また、私の所属している日本美術刀剣保存協会 名古屋支部の支部長である加藤氏にもお話を伺い、以下の情報をご教示下さいました。
・刀美会会長は竹材商をされていた桜井良樹氏(浄心と西区の情報があるが、西区で偶然にも桜井竹材という会社を元職場付近で見かけた)
・刀美会は毎年名古屋城で「郷土の愛刀家百人展」を開催、図譜も出版している
その他、刀美会が解散の後に途絶えている供養や尾張刀鑑賞会などについても支部で話し合うと仰って下さいました。
また、当支部の對馬氏も刀美会についてご存知のようなので話を聞ければと思っています。
ここで、前述の名古屋城展示「郷土の愛刀家百人展」について調べてみました。
検索して出てくるのは図譜が何冊かと、オンブスマンの名古屋城入場者調査年表に載った企画展の文字だけ。
思い切って名古屋城総合事務所にメールで確認したところ、名古屋城振興協会の学芸員である小塩様がご回答下さいました。
・当該展示は昭和43年より平成16年までの35回が開催された
併せて図譜の在庫があれば購入したいとお伝えしたものの、さすがに在庫は無く、古本で出品されているようですと教えてくださった。
早速購入したが、入手できたのは8 10 13 14 15 16 17 19 21 22回のみ。全35回で毎回発行されたなら、あと25冊もある。
(当初は冊子やリーフレット形式であったが、毎回何かしら発行していると、これも小塩様よりお聞きした。)
さすがに初回が昭和43年ともなると、51年も前という事になる。しかもそれが下の画像の武具展のようなリーフレットだと残っているだけでも凄いことだが、インターネット上に在庫を載せている古書店だけでは限界があり、名古屋市内の古書店を回るなどしないと集まらないだろう。

入手してわかったのは、百人展というシリーズで、毎回違った企画展示ということ。
武具展であったり、我が家の秘蔵美術品、尾張刀工展などなど。
そして驚くべきは、その規模であり天守閣の複数フロアを使って、刀剣や銃砲類、刀装具や小道具、軸や陶器など幅広く展示されている。
全く聞き馴染のない小條丸雪延宝年紀など誤字でなければなんなのだろうか、また尾張刀が流石の一言で氏房や信高に政常はもちろんのこと、
泰幸や正全から犬山の道暁や道幸、信屋や氏命、外藤など珍しいものまで一堂に会している。
これだけの規模ということで当然、主催・協賛・講演などの協力団体が多く、テレビ局やラジオ、新聞社や教育委員会に日刀保名古屋支部や熱田神宮刀剣保存会が名を連ねている。
今回入手できた図譜の内容はあくまで目録程度のものであり、最初に数人の会員の話がいくつかと、展示目録、たまに白黒写真で兜や刀が掲載。
それでも面白いのは当時の先輩方の刀にまつわる話で、今の刀剣美術に載っているような論文調の話よりも、ある意味生活感というか人間味を感じられる話が特に好きだ。 当時の刀に対する愛好家の気持ちが表れていて、それに触れられることが嬉しい。
例えば位列の話で、重要だとか特保や大業物などではなく、これは大学三年生とするとこの刀工は中学生くらいだろうかなどと話している。
尾張三作、尾州三作などと江戸初期の相模守政常、伯耆守信高、飛騨守氏房を呼ぶが、第十七回の図譜を下記に内容を引用する。
「時は昭和四十三年、名古屋城で開催されることになった、第一回郷土の愛刀家百人展の打ち合わせ会の折、日本美術刀剣保存協会鑑定員で、中部刀剣界の長老、豊場重春先生が提唱せられたのが嚆矢であった。」とあり、最初に豊場先生が「尾府三作」と仰ったのが始りのようです。
今回いろいろと諸先輩方から話を伺ったりして見聞きできたことは、刀剣に関する刀の話よりも刀が好きな愛好家の話が好きな私にとってはとても充実したものでありました。こうした話は刀剣古書と同じく、知っている人間や、必要として求める人間がいなければ消えていってしまいます。
何だかまとまりの無い内容になってしまい、ここまで読んでくださった方には申し訳ない気持ちもありながら、今後もこうした当時の話や人物などについての話を記録していければと思いますので、宜しくお願いします。