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尾張刀工の作品の鑑賞記録
かねてより犬山鍛冶について別項で記事をまとめているが、本項では尾張鍛冶について鑑賞記録を綴っていこうと思う。
尾張刀工譜が発行されて40年弱が経過しているが、尾張刀研究は全く進んでいないように思われる。
ここでは偶々手元に集まった郷土の尾張刀を紹介、実際に見て感じた記録を綴ることを目的としている。決して何か調査や研究を目的としているわけではないが、尾張刀の魅力や周知の一助となれば幸甚である。
①國重
『国重(元禄)「尾州住藤原国重」「尾州藤原国重作」と銘を切る。貞幸の一派で名古屋に居住した。』(尾張刀工譜より引用)
河内守貞幸(元和)----越中守貞幸(寛永)----------国重(元禄)、国助(元禄)
----貞重(寛永)--------------対馬守貞重(万治)、貞助(貞享)
----河内守貞次(元禄)
重の字から貞重の系統かと思ったが、上記の刀工譜掲載の表では貞幸系統となっている。その根拠は不明。
越中守と国重の血縁関係など、少しずつ何かわかればいいのだが。

所蔵する「尾州藤原國重」と「藤原國重作」の槍二振りである。
寸法に僅かな差があるが、殆ど同じ姿で作られているのが分かる。尾州銘は入手後に研磨、白鞘工作を行い地刃が確認できるが、作銘の方は錆状態で地刃は確認できない。
尾州銘の出来は板目肌に平地は小互の目、鎬面は鎬筋に沿って深く焼き下げた直調の小乱れ。





二振りの銘を並べて比較すると、同一作者であることは明確であろう。作銘の槍には古鞘が付属しており、「八十七」と付番されている。
國重の作品はネット検索などでいくつか該当するものがあった。國の字に特徴があり、尾州と居住地が入っていなくともある程度は判別ができる。
残念ながら刀の作例については見つけられなかった。尾張鍛冶でいうと貴道系統(播磨守、信濃守など)が槍の作例が多い刀工だが、國重も槍など長物が中心で脇指や刀、短刀は少ないのだろう。國重に関しては画像はないものの、長浜曳山祭調査報告にて『毛槍(一対)の柄の長さ三五五糎、黒塗、千段巻。もとの槍身は別にして保存せられている。槍身の身は平三角直槍、長さ一八・一糎、茎の長さ二五・二糎で、二本共「尾州住国重作」と銘がある。』と紹介されている。




②重幸
『重幸(宝永)「尾州名古屋住重幸」「尾州藤原重幸」「尾張国住人藤原重幸」と銘を切った、のち入道してから「行要」という。貞幸門人。「法華重幸行要」と銘を切ったものもある。』(尾張刀工譜より引用)
國重と同様に貞幸系統とされる重幸だが、前述した河内守貞幸からの一門表には名前が記載されていない。
刀工譜とは別の古書では相模守泰幸系統する記述もあったが、詳しいことは分からない。
短刀、薙刀、槍、刀に脇指と刀剣種別は多々ある。短刀は二字銘しか見ていない。
板目が詰まった広直刃、互の目乱れが主な焼き刃で、大刀剣市のカタログ掲載の二字銘短刀は直刃に矢筈交りだった。
ヤフオクに出た槍で「尾州住人藤原重幸」銘のある作品があったが、他の作と比べて明らかに銘が稚拙で異なる。
初二代説を取る古書もあり、或いは。但しヤフオクにでた「尾州藤原重幸」の刀、互の目乱れも銘が異なり、違和感を感じる。
果たしてお国物とされる尾張、しかも重幸という有名でない刀工の作に偽物という可能性は低いと思うが、代作なのか、なんなのか。
刀剣価格帳(大阪刀剣会)では『住の字異風幸の字小さく縦線非常に長し」とあり、現状確認できている銘では「幸」の縦線が長くなるのは見ているが、「住」の異風という表現の銘は確認できていない。 ヤフオク槍の「住」は常に見られる楷書であった。


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