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兼武についての問題提起

 

本国美濃関、尾張国犬山鍛冶屋町に住した。

兼武は一代鍛冶であるのに銘振りも鑢目も種々異なったものがある。これは「兼武」が無筆で、銘切りを「国房」「吉門」「自広」などに依頼したからであるといわれている。『尾張刀工譜』

追記

月西(応安)-月国(応永)-梅利(永享)-梅忠(康正)-兼武(文明、永正)

兼武についてはその系譜を応安の月西から辿るものと、志津系として 兼武(慶長)-権太(延宝)とするものがある。

兼の字を冠する以上は美濃から尾張に移り住んだ刀工の一人だと思われるが、関七流なのか出自は不明である。

概ね室町末期の永正頃とされる兼武、慶長頃とされる兼武には同人説もあるが、室町期の年紀を有する作品は未だ見ない。

年紀作は後述するが熱田神宮の二振り

大太刀(元和六年)と愛知県指定文化財の太刀(慶長十六年)と

市場に出ていた薙刀(慶長六年)の僅か三作品に限られる。

そのどれも銘振りは尾州犬山之住兼武(作)であり、「之」を入れる銘振りが慶長頃の兼武の特徴とも捉えられる。

あくまで個人主観ではあるがこの銘の物に良品が多く感じる。

真清田神社の奉納品に為銘や奉納の由緒はないが、熱田神宮の太刀には「三州安濃庄住人平岩七兵衛元義」と銘があり、

犬山城主平岩主計頭親𠮷の一族の注文打ちが奉納されている。

この太刀は飛騨守氏房に範をとったような出来であり、まさに慶長新刀といえる身幅広く中鋒の張った姿をしている。

刃文は直ぐ調に湾れ、互の目を交えて全体に飛び焼きが入る代表作だと思われる。

飛び焼きが入るものは「之」銘以外でも薙刀などで散見されるが、

​慶長頃の「之」銘の兼武には刃文などに飛騨守氏房の影響が見られる。 

尾張刀工譜にあるように、兼武には様々な銘の特徴が見られる。

1・兼武                 

8・尾州住兼武 

1・尾州之住兼武                          

10・尾州犬山住兼武                     

1・尾州犬山住兼武作                  

7・尾州犬山之住兼武

1・尾刕犬山之住兼武作

1​・尾州犬山之住兼武宗四良(刀剣と歴史537に押形で紹介されている) 

1・​尾張國犬山住人兼武作(熱田神宮大太刀)​

茎尻だけを見ても、入山形や栗尻、刃上がり栗尻と三種類を確認できた。

銘切りを同じ犬山に住した刀工に依頼したとして、茎尻の仕立てまで違うのはどういうことだろうか。

時代的な変化と言い切るのは強引に感じてしまうのは、私だけだろうか。

〈兼武が銘切りを依頼したとされる刀工について〉

尾張刀工譜で挙げられている三名だが、情報元は不明。

​正確に把握するには、犬山住と切る同刀工の銘と比較する必要がある。

国房

犬山に住した国房は若狭守氏房の兄とされる石見守国房がいる。ただしこれは永禄頃とされているため、慶長頃の二代であろう。

初二代ともに作品は少なく、兼武銘と比較して確認することはできない。

吉門

土佐守藤原吉門と名乗り、美濃から犬山熊野町に移住したとされる。二代以降は越前守、濃州関善良家越前守吉門、関善定家武蔵守藤原吉門などと在銘作品が確認できるが初代は殆ど確認できない。

自広

美濃から犬山鍛冶屋町に移住した摂津守藤原自広の初代。

​作品少なく、脇指一振りと兼武銘を比較したがはっきりした共通点は確認できなかった。

〈兼武銘の種類〉

​短刀2 脇指6 刀4 太刀1 大太刀1 槍1 薙刀14 薙刀直し脇指2 計31振りを確認した。

兼武  脇指1

2.png

兼武二字銘、(はせ脇

​この銘の兼武については、犬山に来る前の兼武である可能性と、犬山に来た兼武とは別の美濃刀工である2つの可能性がある。

この脇指は横手があるものの、薙刀樋に添え樋を搔き、
冠落としで棟を削いである。

茎尻が剣形だが、薙刀直しの姿を狙って初めからこの形なのか、
​実際に直しなのかは実見していないのでわからない。

 

尾州住兼武 薙刀4​(未掲載1素剣) 槍1​ 薙刀直し1​ 刀1

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DSC_0134.jpg

(ヤ薙刀      (ヤ薙刀       (岐赤薙刀       (葵直      (岐赤刀        (岐赤薙刀

やや稚拙ながらも古さを感じる銘の特徴。
​薙刀直しの脇指は深いが、他3振りの薙刀は細鏨で浅い。
兼武は慶長頃の刀工とされているが、永正頃にも梅忠の子とされる兼武がおり、これを混同したことから銘振りの違いについて他の刀工によるものという理由で今日まで見過ごされてきたのではないだろうか。

5.png
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尾州住兼武の別種の銘。
上述の薙刀銘と違う点は「州」が「列」に似るところ、
左槍の「兼」が魚兼となり頭が「ク」となる。
​右薙刀の「兼」は魚兼の後期とされる「兼」となる。(3画目までの違い)

初期                 後期

273661594_1372185459896954_7933983857715679847_n.jpg
273582283_1372186586563508_7124353513115437462_n.jpg

(つ槍      (ヤ薙刀       

尾州之住兼武 1

岐阜県博物館所有の赤羽刀(薙刀)
​もっとも古く感じる上述の「尾州住」と似通っているが、「之」が入る。

 

尾州住兼武_edited.jpg

尾州犬山住兼武 尾州犬山住兼武作 尾州犬山住兼武宗四良 
​短刀2 脇指4 刀2 薙刀4 

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(刀歴535脇 (尾名鑑刀  (近短    (つ脇   (明脇    (つ脇    (ヤ知薙  (つ尾銘刀 (市文薙 (ヤ薙  (ヤ短

後述する犬山之住銘と、この銘が最も数が多い。
​画像右端の2振りに特に顕著だが、兼武の「武」の字は氏房同様に「氏」「E」となるが、「武」とはっきり読める銘が増えてくる。
右から2つ目と3つ目の薙刀は「尾」に特徴がある。

​(葵薙刀

尾州犬山之住兼武  脇指1 刀1 太刀1 薙刀3 薙刀直し脇1

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21.png
10.JPG
11.png
3.png
img084-2.jpg
DSC_0138.JPG

(金比羅薙刀直し脇(熱太  (つ脇     (真刀    (町薙   (松薙   (加薙

犬山之住兼武と「之」が入る銘。
愛知県文化財の太刀、真清田神社に所蔵される刀などに代表される。
「州」が「列」となるのは犬山住兼武などの銘と同様だが、「犬」の第二角の長さや書き始めの点、「山」の第二角の出っ張り等に特徴が現れる。また、銘が他と比べても太く深いことが多い。これは同じ犬山鍛冶の得印系家久などにもみられる。

右から2つ目入山茎の薙刀の銘だけ、「山」の出っ張りや「兼」の第三画目までが「ク」とならない。
また、左から2つ目は県文太刀で、兼武には珍しく奉納ということで年紀がある。
「慶長拾六年霜月吉日」
​他にも熱田神宮には「元和六年庚申弐月吉日」と年紀入りの大太刀がある。

 

尾州犬山之住兼武作 ​薙刀1

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「作」が入る銘は犬山市指定文化財の薙刀と、この薙刀、
熱田神宮の大太刀、
​「尾張国犬山住人兼武作」の3振りしか確認できなかった。

「州」が「刕」となるのは本作のみ。

刃上がり栗尻        

尾張國犬山住人兼武作 ​大太刀1

熱田神宮にある大太刀で、元和年紀の同人作の鐔も残されている。尾張國と切る銘は本作のみ。

​武の字もはっきりと楷書で切られ、氏にはならない。

〈終わりに〉
いくつかの銘の特徴を比較できるように紹介した。
兼武銘の違いについては、いろいろな推測ができる。
「同一刀工の作品で銘切り刀工が複数いた」 果たして同門でもない同業者の作品に、わざわざ代わりに銘を切るだろうか。

「元来言われてきた一代鍛冶ではなく複数代いた」室町末期と慶長以降で二代いたのではなかろうか、もしくは代銘者が固定された。
年紀が慶長元和の3振りのみで時代変化や、銘切りを依頼した時期による変化などを判断することはできないことが残念だ。

​今後の研究等によってはっきりすることを願っている。


引用元
​ヤフオク
尾張刀工譜
葵美術 
つるぎの屋
株式会社 美術刀剣松本
刀心
明倫産業株式会社
​刀剣はせ川
刀剣と歴史537
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